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天空に輝くゼニス(腕時計のゼニス)は、ゼニスの歩んできた道を紹介します。

天頂に輝く星

至高のムーブメント

天頂に輝く星 写真

ゼニスは一般の時計だけでなく、航空や鉄道の分野で用いられる精密時計の 製作でも高い評価を受けていました。 大正時代に日本に輸入された時、フランス語読みのゼニットの名で 親しまれていたゼニスは、昭和初期には日本の国鉄の鉄道時計にも 正式採用されます。 第二次大戦後も高性能ムーブメントで名を馳せたゼニスは、 1960年代後半に自動巻きクロノグラフの腕時計を完成させます。 これが1969年に誕生した世界初の専用設計による自動巻き クロノグラフ・ムーブメント、エル・プリメロです。 このムーブメントは自動巻き設計でテンプ振動数が毎時36,000回 というハイビートを採用しており、10分の1秒が計測可能な クロノグラフ機能を実現するなど革新的な特徴を備えた名機となります。

世界初の自動巻きクロノグラフ・ムーブメントという歴史に残る技術的快挙 を成し遂げたムーブメントに、ゼニスはスペイン語の「エル・プロメロ」 という名前をつけ、いまやブランドの代名詞となりました。 しかし今でも最高水準を誇るこのムーブメントはクォーツ・ショックの 影響により、誕生して間もなく長い眠りにつく事になりました。



精度だけでなくデザインも

経営危機に陥ったゼニスはアメリカのラジオメーカーに買収されると、 採算の取れない機械式時計は生産は打ち切りとなりました。 しかし機械式時計の設計図や製造に関わる機械の廃棄命令を受けたにも 関わらず、時計製造主任だったシャルルは命令に背き、それらを隠して 保存しました。 エルブリメロのこのエピソードはよく知られています。 そして1981年、他社からエル・プリメロの生産依頼を受けると、 この名機はいとも簡単に復活する事ができたのです。

1995年には超薄型自動巻きムーヴメント「エリート」を開発すると、 これも非常に高い評価を得ました。 時計精度コンテストの優勝回数は1500回近く、ゼニスといえば精度 ばかりに目がいきがちなブランドですが、近年のデザインはスポーティーな 中にもスーツにも合うような上品なものが多くなっています。 ゼニスの象徴でもあるオープンも、文字盤の小窓からエル・プリメロの 動きを観察することができます。 21世紀に入ると、エル・プリメロのムーブメント心臓部を文字盤から 見せた新時代のラグジュアリーウォッチ「クロノマスターオープン」、 トゥールビヨンやミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダーなどの 高度な複雑機能を加えたモデルも続々と発表されています。 新しい腕時計を発表するごとに話題となるゼニスですが、2009年に エル・プリメロ40周年を記念する復刻モデルを発表したのを機に、 再びクラシカルなデザインへの回帰も見られます。



ゼニスに惹かれた人物

ゼニスの持つ魅力に惹かれた人物に、アムンゼンとガンジーという まったく異なる二人の偉人がいます。 デザインや精度などいろいろな理由でゼニスの時計を選ぶ人がいますが、 これらの偉人達もゼニスのクロノグラフの中に、彼ら自身の内に存在する 内面的な強さと一致する何かを感じ取ったのでしょう。 ゼニスの機械の持つ強い力、それは一度動き始めたらその目的から それることなく、揺るぎない規則正しさで前進を続ける力強さです。 ロアルド・アムンゼンはノルウェーの探検家です。

1911年ロアルド・アムンゼンが人類初の南極点到達を果たしたとき、 この偉業を支えたのは不動の信念と規則正しい前進でした。 彼の人生にもゼニスの時計と共通するものがあったのでしょう。 アムンゼンはその後北極点到達にも成功すると、南北両極点を制覇した 世界初の人物となりました。

マハトマ・ガンジーは非暴力抵抗で有名な人物です。 ロアルド・アムンゼンの活躍と同じ時期、マハトマ・ガンジーがインド独立 のための非暴力抵抗を明言しました。 彼の活動は徐々に、しかし確実に国民の公民権を認めさせるまでに至ります。 この彼の不屈の精神と強い意志による行動も、ゼニスに共通するものが あったのでしょう。



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