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天空に輝くゼニス(腕時計のゼニス)は、ゼニスの歩んできた道を紹介します。

ゼニス(ZENITH)の歴史

セニス設立

ゼニス(ZENITH)の歴史 写真

ゼニスの成功はすぐに訪れました。 会社設立から10年後の1875年には、1,000名以上の従業員を 擁する会社にまで成長しました。 当時のゼニスは懐中時計、振り子時計、海軍用計測器などを生産していました。 1896年、ジョルジョ・ファーブル・ジャコはジュネーブのスイス国内 見本市で金賞を受賞し、4年後にはパリ国際博覧会で優秀賞を受賞するなど、 彼の生み出す時計の品質や精密さを顕彰する様々な賞は年々増え続けます。

1911年、ジョルジョ・ファーブル・ジャコは会社に不滅の名前を、 マニュファクチュールゼニスと命名しました。 この社名の由来は、ジャコが星空を眺めながらスイスの山中を歩いて いるときに天空の最高点(ゼニス)という名前を、自らの最高の ムーブメントに与えようと思い立ったことだそうです。 後に会社にもゼニスという名前を与え、こうして星が会社のシンボルと なったのです。

1920年までに200万個もの時計か生産されたゼニスは、 ジュネーブ、ロンドン、ニューヨーク、モスクワ、パリ、ウィーンに 支店が開設され、国際的な歴史をスタートしました。 現在のゼニスは世界中に17の子会社を持つまでに成長しました。



伝統的な時計作り

1930年代になると民間航空産業などの進歩に伴って、時計産業も高度な 精密さを求められるようになります。 マニュファクチュール・ゼニスは高品質な機械式ムーブメントの生産の 技術力を生かして生産の多角化を試み、フランス海軍の水上飛行機や 英国海軍の艦艇、イタリア海軍などにも採用されました。

1940年代から戦後にかけてのマニュファクチュール・ゼニスは、 経験と熟練技術を生かして中核事業に特化する道を選びました。 原点に戻って完璧なムーブメントを探求する努力が、新しい自動巻き ムーブメントを生み出しました。

そして1969年、エルプリメロムーブメントが誕生します。 ところが1970年代末にクォーツが現れてクォーツショックが起こると、 ゼニスも時代の要請に応え新たな時代の挑戦を受けることになります。 1980年に再び機械式時計が評価されるようになると、名声を取り戻した ムーブメントには他の時計製造者からも注文が殺到しました。 その後もゼニスは時代の要求に耳を傾け、スリムなエリートムーブメントなど 新しい時計の開発に取り組みます。

マニュファクチュール・ゼニスは伝統的な時計作りの卓越したノウハウ、 積み重ねてきた自信に支えられ、1999年に希少な真珠を20世紀の 時計作りを導く星に変えたいと願うLVMH(モエヘネシールイヴィトン) グループに仲間入りしました。



新生ゼニスの時代

新生ゼニスは創立者の遺産に触発され、伝統と現代を繋ぐ古典的で革新的な ユニークなスタイルを追求しようと決断します。 2002年のバーゼル国際高級時計見本市で、ゼニスは4種顆の ムーブメントと14の新モデル、52のバリエーションを発表します。

2003年には文字盤の隙間からムーブメントの鼓動が覗ける、 クロノマスターオープンエルプリメロが発表されました。 このモデルはマニュファクチュールゼニスのヒット商品となります。 またゼニスはレディース時計に注目し、美しさと知性のイメージをモチーフ としたスターを発表します。 レディース時計も成長を続け、総生産の3割以上を占めるに至ります。 生産施設もデジタル生産技術を導入して近代化を図りすが、 それでも時計製造者の伝統技術を中心に据え置き、伝統的な匠の技や 半自動技術も引き継いでいます。

2004年にエルプリメロクロノグラフと統合された最初の トゥールビヨンゼニスは、トゥールビヨンとしては世界最速を誇ります。 この時計はジュネーブウォッチメイキンググランフリでメンズ時計の 最優秀賞を受賞しました。 またグランドクロノマスターXXTオープンエルプリメロは、2004年度 最優秀時計賞を受賞しました。



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